「夢の植物園」展
恵比寿のギャラリー、LIBRAIRIE6へ行ってきた。
「夢の植物園」の名の通り、植物をモチーフにしたコラージュ・絵画・オブジェ・写真などが展示されていた。
この世のどこにもきっと存在しないが、この世のどこかに存在してほしいと願ってしまう、素敵な植物たち。
特に薔薇が多く、五月というこの季節を楽しむこともできた。
ロバと王様とわたし/あしたはみんな死ぬ/ロバは病気で/王様は退屈で/私は恋で/時は五月/
お土産に買った『定本 薔薇の記憶』宇野亞喜良著に載ってた、ジャック・プレベール「五月の唄」という詩である。
退屈で死ぬのは王妃だけではないんだなあ……
私のお気に入りは、野中ユリさんのデカルコマニー(特に、黒い花を分解して白い紙の上に解剖図のように並べたもの)と、桑原弘明さんのオブジェ。
緑の薔薇のカードも素敵でした。
関連書籍:
定本薔薇の記憶 (立東舎文庫)/宇野 亞喜良 - 紙の本:honto本の通販ストア
『四谷シモン ベルメールへの旅』菅原多喜夫 著
2010年に、ポーランドで開催された『四谷シモンと友人たち 日本におけるベルメール展』に、展覧会の企画に関わり、学芸員として四谷シモンに同行した菅原多喜夫によって記された旅の記録。
成田空港出発から、モスクワ、そしてワルシャワ、カトヴィツェ、クラクフ、アウシュヴィッツ、ヴロツワフの散策について日記風に書かれている(勿論、展覧会のことも!)。
思っていたよりも食べ物のことと観光のことが充実しており、ポーランドへ旅行してみたい方も楽しめるのではないかな?
食べ物はシンプルなサラダに始まりウィンナー・シュニッツェル、パリの雰囲気を漂わせるカフェ、ポーランド名物のキノコのクリーム・スープとピエロギ、ホテルのビュッフェ、ユダヤ料理のレストラン、ホテルの朝食、ハンガリー料理などなど……メニューだけでなく値段についても書かれているので、旅行の計画を立てるときにも参考になりそう。
ユダヤ料理レストランでの、牛肉・蜂蜜・シナモンのスープがとても気になる。
観光に関しては、ポーランドに関する予備知識に自信がなくても、菅原氏が丁寧に歴史についても解説してくれているため、本に置いていかれるということが全くない。
ポーランド……
ベルメールだけでなく、ブルーノ・シュルツやズジスワフ・ベクシンスキ、フレデリック・ショパンは大好きだし、スタニスワフ・レムは気になるし、映画『イーダ』も好きだし……
死ぬまでには一度行ってみたいものです。
関連書籍
ハンス・ベルメール 増補新版 (シュルレアリスムと画家叢書 骰子の7の目)/ハンス・ベルメール/サラーヌ・アレクサンドリアン - 本:honto本の通販ストア
SIMONDOLL/四谷 シモン - 本:honto本の通販ストア
シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー)/ブルーノ・シュルツ/工藤 幸雄 平凡社ライブラリー - 小説:honto本の通販ストア
『迷路の旅人』倉橋由美子 著
『わたしのなかのかれへ』に続いて出された、倉橋由美子の第2エッセイ集。
名前が某魔法少女な子どもたちの育児の合間を縫って書かれた、主に文学についての文章たちである。
倉橋さんの文章に触れようと購入したため、「玉突き台の上の文学――John UpdikeのCouplesについて」や、「評伝的解説――島尾敏雄」などはさらっと流してしまった。アップダイクの文章は、アップダイクを読んだ後に読み返そう。島尾(以下同文)。埴谷(以下同文)。
「沖縄に行った話」は、真っ先に読んだ。
普通の食べ物ということなら、例えば沖縄そばがある。(中略)澄んだスープに蒸し豚がはいっている。この豚は豚であることをほとんど感じさせないもので、ほとんど味も匂いもないのが本当の美味を感じさせる。こういう洗練は、豚に関してはこれにまさるものを知らない。
本当かな?
今まで暴言しか吐かれたことないよ?
一番好きだなあと思ったのは「やさしさについて」。
「やさしさ」という「もっとも女性的な」「美徳に恵まれていることにかけては誰にもひけをとらない」(らしい)やさしいやさしい倉橋さんが、「ノー」を使わない「やさしさ」について書いた、2段組みにして6ページ弱のやさしいエッセイである。
何と言っても、オチが素敵。やさしい。
■
とてつもなく美しいものに出会ったとき、私はふわっと宙に浮く。
普段世俗的なことをして時間に縛られているこの身体から魂が解放され、普遍的で時間を持たないものの集まるところへ飛んでいく。
そこでは「私」は存在しなくなる。
消えてしまえる喜び。
映画を観よう観ようとは思っていても、レンタルショップカードの期限が切れて放置していたり、映画館まで行く気力がなかったりしていた。
でも、今日はすべての時間を私の自由にできるということで数ヵ月ぶりに映画を観てきた。
「アンジェリカの微笑み」。
なんとなく、なんとなくだけれども、イザクは時間から常に解放されていた珍しい人だったのではないだろうか。
誰も彼の過去を知らない。彼の内部で起こっていることを知らない。彼がこの後とる行動を知らない。スクリーン越しに彼の一挙一動を眺めている私たちでさえ。(館で写真を撮り終えた後も、小鳥が死んでしまった後も、彼は突発的に行動しているように思えた)
機械は退屈だ、と鋤を振るう農夫を撮る。デジタルではなく、アナログなカメラを用い、薬品で現像する。下宿先にはそもそも電話がない。機械は劣化が早い。それにアップデートも早い。とても時間的なものだ。
だからこそ、アンジェリカは彼に微笑みかけたのではないだろうかと私は思う。時間的なものに囚われず、普遍的で魂を重視していたイザクだったから。
でも、時間から解放されている人間は、時間の流れるこの世界では生き延びることができないのだ。