とてつもなく美しいものに出会ったとき、私はふわっと宙に浮く。

普段世俗的なことをして時間に縛られているこの身体から魂が解放され、普遍的で時間を持たないものの集まるところへ飛んでいく。

そこでは「私」は存在しなくなる。

消えてしまえる喜び。

 

映画を観よう観ようとは思っていても、レンタルショップカードの期限が切れて放置していたり、映画館まで行く気力がなかったりしていた。

でも、今日はすべての時間を私の自由にできるということで数ヵ月ぶりに映画を観てきた。

「アンジェリカの微笑み」。

なんとなく、なんとなくだけれども、イザクは時間から常に解放されていた珍しい人だったのではないだろうか。

誰も彼の過去を知らない。彼の内部で起こっていることを知らない。彼がこの後とる行動を知らない。スクリーン越しに彼の一挙一動を眺めている私たちでさえ。(館で写真を撮り終えた後も、小鳥が死んでしまった後も、彼は突発的に行動しているように思えた)

機械は退屈だ、と鋤を振るう農夫を撮る。デジタルではなく、アナログなカメラを用い、薬品で現像する。下宿先にはそもそも電話がない。機械は劣化が早い。それにアップデートも早い。とても時間的なものだ。

だからこそ、アンジェリカは彼に微笑みかけたのではないだろうかと私は思う。時間的なものに囚われず、普遍的で魂を重視していたイザクだったから。

でも、時間から解放されている人間は、時間の流れるこの世界では生き延びることができないのだ。