高原英理『ガール・イン・ザ・ダーク』を読んで

話しておくれ! と私たちは愛ゆえに声を張り上げる。何もかも話しておくれ! そうすれば私たちはお前を許そう、と。だが少女たちは私たちに何もかも話すことなど望んでいない、一言だって聞いてもらうことを望んでいない。要するに彼女たちは、見えないままでありたいのだ。まさにこの理由によって、少女たちは、彼女たちの本性を明かすようないかなる行為に携わることもできない。ゆえに彼女たちは沈黙するのである。ゆえに夜の静寂を愛するのであり、闇を祝う儀式を執り行うのである。黒い煙のなかに入っていくかのように、彼女たちは秘密のなかに入っていく――消えてしまうために。

スティーヴン・ミルハウザー 柴田元幸訳 「夜の姉妹団」 

『ガール・イン・ザ・ダーク』は「はじめに」にある通り、モーリーン・F・マクヒューの「獣」をきっかけに生まれたアンソロジーである。しかし「夜の姉妹団」の方が、ガール・イン・ザ・ダークの精神を全身に漲らせているように私は感じた。

この本における「ガール=少女」とは、高原英理が『少女領域』で導いたように、自由と高慢を求めるものであって、澁澤さんの『少女コレクション序説』などに書かれた「少女」とは異なる。

彼女たちは外部を決して受け容れない。たった一人であっても、世界と対峙する。

 

本書の最後に収められているのは、藤野可織『ファイナルガール』。

「殺される少女」はもういない。いないでほしい。殺されないでほしい、もう誰一人として。という祈りが込められているように、私は感じた。

繊細すぎれば

ともに生きてはゆけない

闇が命を脅かすのだから。

シルヴィア・プラス 高田宣子・小久江晴子訳 「嵐が丘

 

リサの頭上で不吉に渦巻いているのは、私の人生はもしかして三十年やそこらでは終わらないんじゃないのかという恐怖だった。ほんとうならたった一度、三十歳くらいで娘を守って死ぬときに味わえばおしまいだったはずの命の危険と不当な暴力に対する戦いを、私はこの先何度もこなさなければならないのではないか。私が受け入れるのは明瞭で筋道だったひとまとまりの時間ではなくて、不明瞭かつ理不尽な大量の時間なのではないか。

藤野可織 「ファイナルガール」 

だったら、闇すら飲み込めばいいのだ。
命を脅かすありとあらゆるものに全力で対峙し、倒すんだ。

闇の中で戦うんだ。

自由も高慢も気高さも、口を開けて待っているだけでは手に入らない。

戦って、戦って、手に入れるものだ。

戦って、戦って、手に入れていくんだ。